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翻訳家 サーシャ・ダグデール ①

ロシア語の翻訳、詩、出版にまつわるインタビュー  Part 1


ロシア文学の翻訳家サーシャ・ダクデール氏。彼女自身も作家であり詩人である彼女は、翻訳という職業や作業、そのプロセスにどう向き合っているのでしょうか。翻訳とはどのような仕事なのか、自分に/他者に何を与えるのか ––– 休日の静かな朝、ゆったりと彼女の話に耳を傾けてみませんか? 自分の中の何かを広げてくれるかも知れません。



「なぜ私は翻訳をしているのだろう、そう思うときがあります。翻訳は自分の中の何かを広げてくれるものなのです。」

- Sasha Dugdale



インタビューのPart1では、ロシア文学の翻訳に携わることになった背景や経緯、自身の執筆や作品に関する話などを通して、彼女自身の興味関心や物事に対する考え方に触れていきます。



Interviewed by Anita Gopalan


サーシャ・ダグデール氏とは2016年に知り合った。出会った当時の彼女は翻訳詩専門の優良誌『Modern Poetry in Translation(MPT)』で編集者をしていた。サーシャは私が翻訳したギート・チャトゥルベディ(ヒンディー語の詩人)の詩のページを担当し、私はその温和な人柄にすっかり魅了されたのを覚えている。現在、詩人そして劇作家、また現代ロシア文学における著名な翻訳家として素晴らしい活躍を見せているサーシャ。彼女が描く文学の風景には常に音楽が存在する。英語とロシア語という二つの文化、詩と演劇、記憶と忘却のはざまに息づく彼女の詩は、いくつもの要素が絡み合い美しい言葉のポリフォニーを奏でているのだ。


数日にわたるサーシャとの対談は楽しく、学び多き時間となった。紛うことなき愛と勇気と情熱を謳う彼女の詩は、詩とは単に読むものではなく讃えるものだと私たちに教えてくれる。


お時間を頂き、どうもありがとうございます。まずは、Twitterのステータスに書かれていた文章ついてお聞きしたいと思います。「海の精のように私の心の奥底に今でも潜んでいるのは、あふれるほどの激しい怒りと熱狂である。」 美しい文章ですね。


どうもありがとう。これは、私が訳したロシアの詩人マリーナ・ツヴェターエワによるエッセイ『My Mother and Music』から引用した文章です。エッセイ自体は、自伝でありながら詩的な雰囲気もまとった素晴らしい散文となっています。マリーナの母親はピアニストで、娘にも音楽の道を歩んでほしかったようですね。文中にはマリーナ本人は本や書くことが好きだったけれど、幼い頃から音楽を学ばされていたという記述があります。


ですが、支配的な母親との生活が淡々と語られているわけではありません。そこには繊細さと複雑さが介在しています。母親が自分たちに遺したものは激しい怒りと苦しみだったとしながらも、自分の詩に活きている母親から受け継いだ音楽性についても触れているのです。その音楽性や言葉がもつ音や響きが感じられる文章で、彼女の代表的な作品ですね。



2021年国際ブッカー賞の最終候補者入り、おめでとうございます。デレク・ウォルコット詩賞でも最終候補に選出、フォワード賞など数々の賞も受賞されていますが、あなたにとって、こういった賞はどのような意味を持つのでしょうか?


私の作品が広く人々に読まれているということですから、最終候補者として選ばれたり賞を受賞したりするのは嬉しい反面、賞そのものに対しては総じて相反する思いがあります。賞には現代のスタイルや政治、ファッションなどが反映されてます。でも、才能がある数多くの作家はそのような枠の外にいるのです。世間からは注目されていなくても、ほかに類を見ない優れた作家たちを私は大勢知っています。


大きな賞で副賞として贈られる表彰金というのも、考えてしまいますね。このお金で執筆活動が継続できるのですから(作家の大半は非常に少ない収入で生活しています)、もっと広くに公平に分配されるようになると良いですね。名の知られている詩人であっても、少ない助成金や報酬でどうにか生計を成り立たせている人も多くいます。賞を贈る風潮は比較的最近の文学界で目立ちますが、このような動きによって、詩というものと真剣に向き合う機会が減少しており、人々の詩に対する関心が薄れているという現状が見えなくなっていると感じています。


賞に対する見解をお聞きできて良かったです。特に最後の部分は、独自の視点ですが理解できます。話は変わりますが、何がきっかけで作家になろうと思ったのですか? また、オックスフォード大学での学びが文学活動をするうえでプラスに働くことはありますか?


大学では現代語学を専攻しており、執筆と翻訳を始めたのもこの頃でした。英語を学んでいたわけでもなく、詩の世界とかかわっていたわけでもありませんが、ロシア語やドイツ語の詩は数多く読んでいました。この経験が私の中に根づいているように思います。


あなたの文章は構造が斬新で、思わず目を見張ります。意図的に散りばめられた感嘆符や疑問符なども含めた句読点、改行の仕方、会話のような流れ –––– これらが演劇的な雰囲気や登場人物のイメージを創り出していると思います。あなたが生み出す詩やご自身のアイデンティティおいて、戯曲や劇作はどういった位置付けにあるのでしょうか。


そういう視点から自分の作品について考えたことはありませんでした。嬉しい質問ですね。ありがとうございます。そういえば、ここしばらくは新しい劇作の翻訳に取り組んでいます。最初に翻訳した出版物も、2000年初頭に制作されたロシア演劇の劇作でした。私は人の声の響きや芝居が大好きなので、詩を書く際にはよく音読をし、書いた詩に「音」をつけます。私が理想とする詩は劇作と詩の間に存在しており、音や音がもつ質感は詩の内容と同じくらい大切なものなのです。


演劇の話が出てきましたが、モスクワでロシアの劇作の翻訳をされていたのですよね? 当時のことをお伺いできますか?


その頃の話をするのは好きなので、喜んで。そんなに昔という気はしないのですが、もう25年ほど前になりますね。1990年代、私はブリティッシュ・カウンシルと仕事をしていて、ロシアで開催予定の芸術に関するプログラムづくりに携わっていました。その時、新進気鋭の若手作家たちの支援を熱心に行っていた劇作家のエレナ・グレミーナがカウンシルを訪ねてきたのです。イギリスとロシアの劇作家が実施する協同プロジェクトに興味はないかという話でした。


当時はイギリスのニューライティングという分野が世界的な注目を集めていました。何人かの劇作家(マーク・レイヴンヒルやサラ・ケインなど)は新しい種類のドラマツルギー(劇作法)を構築した時代です。エレナは、演劇のニューウェーブを推進・支援していたロンドンにあるロイヤルコート劇場との提携にとても意欲的でした。ロシアの若手劇作家に新しい表現手法やアプローチに触れてもらい、ヨーロッパにある様々な劇場と新しいネットワークを築こうとしていたのです。


そこで、ロイヤルコートのインターナショナル部門のディレクターを務めていたエリーゼ・ドッジソンをロシアに招待しました。彼女もエレナ同様、エネルギッシュで実行力がある人でしたね。それがきっかけとなり、その後10年にわたってロシアとイギリスの劇場文化の間にすばらしく豊かな交流が生まれましたし、イギリスやアメリカでも新しいロシアの作品がいくつも上演され高い評価を受けるようになっていったのです。


ロシアの劇作家たちの書く戯曲は当初から独創的で面白いものでしたが、それらを訳せる人がいないことがほどなくして分かり、私が翻訳を担当することになりました。それが自分の専門分野になっていったのです。私は劇作家ではありませんが、声や動きを訳すのは楽しかったですね。舞台上で声と声が互いに作用し合うのが本当に好きで。刺激的で芸術の分野が変革期を迎えていたこの時代を思い起こすと、エレナもエリーゼも亡くなってしまったことを思い出してしまいます。本当に残念です。


あなた自身、そして詩人としての人生において、胸躍る… 果てしなく広がる言葉の世界を探求する旅をしているような、そんな時期だったのですね。


ええ、まさにそのとおりです。「果てしなく広がる言葉の世界を探求する旅」、すてきなフレーズですね。劇作の翻訳は他者の会話を腹話術で再現するようなもので、人の経験がもつ奥深さを探求していた時期でもありました。


執筆作品からは、詩人のオーデンやブレイク、画家のゴヤや歴史的建築物であるレッド・ハウスといった、文学の枠を超えた領域の芸術家や芸術作品の影響も感じられます。翻訳作である『In Memory of Memory』でも、ゼーバルド、サロモン、ウッドマンなどの作家やアーティストの世界観が反映されているように思いますが、翻訳をする際の構想やそれを発展させるプロセスではどのようなリサーチを行ったのでしょうか。また、より完成度の高い作品(執筆作や翻訳作)を目指すうえで彼らから何か影響を受けましたか?

マリア・ステパノワの作品『In Memory of Memory』で重きが置かれてるのは、視覚、その中でも特に写真です。私自身、視覚芸術と人のイマジネーションを刺激する視覚芸術の多様なアプローチに魅力を感じているので、作品の裏に潜む彼女の視覚的なイメージの痕跡を辿るのは楽しい作業でした。例えば「色」。多くの人にもそうであるように、色は私の感情に影響を与えます。マリアは作品の中で色を見事に描き出していたので、読み手としても英語で表現を描き直す翻訳者としても、彼女の文章に呼応できるよう努めました。


マリアは以前、私たち二人は同じ楽曲をそれぞれの声で歌っているのだと言ったことがあります。マリアも私も「この政治的な時代において、現代モダニズムの文化的感性をどう相手が表現するのか」に興味があるのです。マリアの作品を翻訳するにあたっては、当初は言葉をひねり出すようにしていたのですが、結局は直観に従って訳しました。目を閉じて彼女の哲学や詩情を自分の中に流れ込ませ、私の内にある言葉がおのずと湧き出てくるようにしたのです。


すてきな翻訳のプロセスですね。『Joy』の着想や創作についてもお伺いできますか。作品の中に引き込まれるような感覚を覚えました。すばらしい長詩です。


『Joy』に触れて頂きありがとうございます。初期の作品が忘れ去られず話題にのぼるのは本当に嬉しいことです。この『Joy』という長詩は、夫のウィリアム・ブレイクに先立たれた妻キャサリン・ブレイクがその想いを謳ったもので、何十年にもわたり創作し続けた夫婦の絆やそこから生まれた作品の数々を、キャサリンが詩の中で想起しています(彼女はブレイクのアシスタントとしても働き、近年、ブレイクの創作において果たした役割が再評価されつつあります)。


しかし、この作品で私が焦点を当てたかったのは、二人の絆が壊れようとしている、その悲しみです。喜びと悲しみはまさに表裏一体で、相手との交わりが深く喜びに満ちたものであればあるほど、悲しみは激しくなります。詩の中で、悲しみに打ちひしがれたあとは忘れるのがいいと助言されるキャサリンですが、彼女はそれを拒み、夫を失った喪失感を抱く方を選ぶのです。


あなたの作品や翻訳では、記憶が重要な役割を担っていますよね。記憶と忘却のはざまで揺れる詩が多く、忘れられた記憶を支えに思い出される記憶、不在の記憶、別の場所の記憶、想像の記憶などを描いているように思います。記憶と創作の関係についてはどのような考えをお持ちなのでしょうか。


私は記憶、歴史、そして説話に興味があります。私もマリアも、自分たちの国を形成してきた歴史的な事実が説話として語られるようになったことや、そこに至るまでのプロセスが個人や集団の記憶にどう影響しているのかに関心があるのです。個人的には、人の記憶が薄れ忘れ去られる歴史や、そうした歴史が記憶から消去されることで人や社会にどのような影響があるのかついても知りたいと思っています。


最新の詩集『Deformations』は、歴史や説話に登場しない人たち、そして彼らの暮らしや心理がいかに歴史として記録されなかったかについて詠んだ作品です。今、多くの作家や歴史家が、このように注目されてこなかった歴史を発掘する作業をしています。『Deformation』の執筆をするうえで、これは私にも必要な作業となりました。イギリスのカトリック教徒だった著名な芸術家エリック・ギルという、私個人の存在など黙殺するかのような文化遺産的な人物と対峙しなければならなかったのです。


あなたの作品には音やリズムがあふれていますが、執筆でも翻訳でも、作品を創る際は何らかのかたちで音楽からヒントを得ているのでしょうか。

私は音楽家ではありません。ですが、言語学者であるとは思っています。複数の言語を話し、異なる言語の間を行き来しながら言語がもつ意味や内容を翻訳を通して再現しようとしているという意味で。あなたもそうですよね、アニータ。語感というのは言語に付随するもの、言語の音を奏でる楽器だと思うのです。そう考えると、音楽は言語自体、そして言語を用いた芸術である詩や散文にとって極めて重要なものになるのではないでしょうか。複数の文化や言語を媒介する翻訳者や様々な人の場合も多いのですが、同じような考え方をもつ作家の方などに出会うと、とても温かな気持ちになります。


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Article from Scroll.in

Translated by 飯田七重

Edited by ネルソン聡子




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